亀太商店
創業は 天明2年1782年なので今年で224年。所在地は東京都墨田区。関東大震災、東京大空襲で焼け野原になってもこの土地で商売を続けてきている、老舗の米屋。

亀太商店のホームページ
http://kameta1782. web.infoseek.co.jp/

1993年の冷夏による凶作、1995年の新食管法が米販売業に大きなダメージ

冷夏による凶作で大きな打撃を受け、その回復も出来ないうちに、規制緩和の一環で新食管法が施行される。米の販売が許可制から届出制になり、スーパーや大型店で米の安売りが始まったことで、老舗の米屋、亀太商店に経営危機が訪れた。

その頃の亀太商店の売上比率は、業務用が8割から9割、残りが家庭用。それも電話などで注文を受け、配達するスタイル。そのため、店舗と言っても道行く人が、米を買いに入るような店構えでもない。注文が激減するなか、買ってくれるのは義理堅いほんのわずかなお客さまだけという状態で、店の売上は落ち込んでいく一方。業務用の大口顧客と規制に守られた商売をしていた状態で、30代半ばだった八代目にとってそれは思いもよらぬ試練だった。

店に置く米のブランド見直しと、さらなるブランドの探求

「大量に仕入れることが出来る大型店と価格競争では負けてしまいます。そこで、逆に少量をその場で精米して、おいしさを売りにするやり方はできないかと考えたのです」

最初は、お店の隅で、当時の有名ブランドのコシヒカリやひとめぼれなどの6種類を置いてみたところ、お客さまに好評を得る。しかし、少量の5キロ単位で購入すると、大体6種類を半年で一巡してしまう。

「だったらもっと種類を増やしてみようと、有名ブランドではないけれど『佐賀うらら』という種類を置いてみました。これがちょうどNHK朝の連続テレビ小説『天うらら』の放送時期ということで、お客さまがネーミングのおもしろさに惹かれて試しに買ってくれたのです」

食べてみたら、味もよいと、いままでコシヒカリのような有名ブランドにしか興味のなかったお客さまも店を訪れるようになる。それをみて八代目は、お米のおいしさは人さまざまで、決して「粘りがあって、甘さがある」コシヒカリだけが、おいしいお米ということはなく、顧客は自分の舌にあったお米を買うのだなと新たな発見をする。

それからは、卸しが扱わないような品種でも、「おいしい」と評判を聞けば、現地まで行って、生産者と会い、味を確かめ、仕入れをするようになった。

大きくかわった売上構成とお客さま

少量販売を始めて10年。今では業務用5割、小売が5割と売上の構成が大きくかわった。少量をお店に買いに来てくれるスタイルになったため、配達の量が大きく減り、今では家族だけでお店を切り盛りできるようになった。お店も思い切って4年前に店舗重視で、道行く人が気軽に入れるお店に改装。取り扱っている品種も30種に増えた。

「買いに来るお客様の年代構成も大きく変わって、20代や30代の味にこだわりを持った女性が多くなりました。この層の人たちは、クチコミやネットなどで情報交換していて、お客さまがお客さまを呼ぶという、うれしい効果も出てきています。」

とくにインターネートの注文は4年前の開設時、月10件だったのが、今では月400件までに増えてきている。

「お客さまが二極化してきていると、最近強く感じます。値段ありきのお客さまと、こだわりのお客さまに分かれ、こだわる方は、今日はカレーに合う米、寿司に合う米、今流行りの玉子かけごはんに合う米と、味だけでなく用途にまで注文があります。そんなこだわりのお客さまの要望に応えるようにと、情報収集などは怠らず、資格も取得しました」

取った資格は、五ツ星マイスター、お米アドバイザー、米・食味鑑定士の三つ。仕入れの面でも、今では、田んぼの泥を(見て、匂いをかいで、触って粘りを確かめる)ことで、おいしいお米の出来を想像できるまでになった。 とはいえ、お米というのは、昨年おいしかったから、今年も同じというわけにはいかないデリケートなもの。また、仕入れも農家の方と人情が通じてしまうのも考えものと、販路の開拓に関しては、失敗を経験しながら切り開いてきている。 さらには、地域の子供たちへの食育にも貢献。お米は日常の必需品。学校からの要請で、中学生や高校生をお店で開く実施研修「亀太塾」に快く受け入れている八代目。お米に触って、味を比べ、時には生産者の人とも接し、子供たちにもっとお米に親しんでもらおうとの試みも9年目になった。 常に新たなことにチャレンジしている八代目。彼のお米の選び方や販売方法は、米穀店だけでなく今後の小売店の大きなヒントになるだろう。