気合豆腐 埼玉屋本店

新井弘幸さん

創業は1952年。所在地は東京都葛飾区。3代目・新井弘幸さんは1963年生まれ。高校卒業後、蕎麦屋で修行。その後、埼玉屋本店を継ぐ。新商品開発に積極的に取り組み、同店を大きく成長させた。ホームページ開設は1999年。


地元はもちろん、遠方からもお客さんが訪れる人気店

1952年、東京都葛飾区に創業した豆腐屋「埼玉屋本店」。現在、この店を切り盛りする3代目・新井弘幸さんの祖父が、埼玉県にあった豆腐屋「埼玉屋」で修行を積み、暖簾分けで看板を立ち上げた豆腐屋である。

埼玉屋本店は、京成線・お花茶屋駅から徒歩8分の街道沿いに店を構える。店の軒先には「埼玉屋 気合豆腐」の大きな看板が掲げられ、その脇には、自店のブランド商品「気合豆腐」の旗が風で揺らいでいる。男気あふれる店構えだ。

店内には「気合豆腐・塩田」「気合堅豆腐」「気合の青」「気合DE茶々」などの豆腐類、油揚げ、がんもどきなどの揚げ物類、さらには、納豆や醤油などが所狭しと並べられている。いわゆる町中にある普通の豆腐屋さんというよりは、デパートの一角にある「豆腐専門コーナー」といった雰囲気だ。取材中もひっきりなしにお客さんが訪れる。空パックを手に買い物にくるご近所さんも多い。

「葛飾だけではなく、埼玉県や神奈川県、さらにはインターネットを見て遠方からも、お客様が足を運んでくれています」と3代目・新井弘幸さん。


不況や大型スーパーの出店で、豆腐の売り上げは激減

新井さんがこの店に入ったのは23歳の時。ある出来事がきっかけとなり、稼業を継ぐ決心をしたという。
「正直な話、豆腐屋ではなく、蕎麦屋の職人を目指していたんです。高校卒業後、蕎麦の名店、浅草の並木藪蕎麦で5年間修行し、暖簾分けの話も出ました。でも、ちょうどその頃、祖父が病で倒れてしまったんです。それで、祖父から『店を継いでくれないか」と言われて……。悩みましたが、豆腐屋の職人になる決心をしました」

時は1986年の頃。当時の同店の商品ラインナップは「普通の豆腐だけ」と新井さん。
「輸入大豆を使った普通の絹ごし豆腐と木綿豆腐だけでしたね。店だけでは売り切れないので、バイクに乗って行商に出ていました」

景気が良かったこともあり、売り上げは順調で「作ったものは、ほとんど売れた」(新井さん)という状態が続いた。



新井さんが店に入って10年(1996年頃)が経ったとき、手伝ってくれていた叔父の給料も支払えなくなり、新井さんは窮地に立たされることになる。




不況で売り上げが落ちたとき、自分の努力の足りなさを痛感

こうした状況下、周辺の豆腐屋のなかには「スーパーができたから仕方がない」「不況だから……」などと店を畳むところも少なくなかったが、新井さんは、売れないことを環境のせいにはしなかった。
「自分の努力が足りなかったんですよ。お客様は『スーパーより、やっぱり美味しいね』と言ってもらえていましたが、いま考えると、スーパーの味とそれほど大差はなかったと思いますし。わざわざ、うちの店に来て買わずに、スーパーで買ってもさして違いのない豆腐だったんです」

さらに、新井さんは当時をこう振り返る。
「豆腐屋に入ってからの10年間は、職人として生きてはいなかった。ただ与えられた仕事をこなすだけだったんです。何も考えずに、普通に豆腐を作って1日が終わる。そこには努力なんて、何一つありません」

自分の努力が足りないだけ――。その事実を痛感したとき、新井さんの職人魂に火がついた。
「本当に美味しい豆腐を作れば必ず売れる、それに賭けてみようと決心したんです」



後編に続く