榛木金属工業株式会社

榛木孝至さん

創業は1916年。所在地は大阪府東大阪市。榛木さんは1969年生まれ。大学卒業後、鉄工所勤務を経て、98年に父・榛木登司雄さんが運営する同社に入社。04年5月、自社ホームページを完全リニューアル。05年8月、銅の販売を行うネットショップもオープン。


大正5年の創業以来、安定していた会社の経営

携帯電話の電波は「基地局」と呼ばれる、中継基地を通ってやりとりされている。この中継基地は、山間部にあることも多く、その場合、電気が基地まで通じていないケースも少なくない。このとき活躍するのが「産業用電池」だ。電気に代わって、電池が電気の供給を行っているのだ。そのほか、ビルや発電所、駅などでも、この産業用電池が、充電用電池、非常用電源装置として活躍している。

こうした産業用電池はじめ、自動車用電池などの部品製造を行っているのが、榛木金属工業である。金属加工全般を請け負うが、なかでも、銅加工をもっとも得意分野とする。

「産業用・自動車用電池などには、電気を供給するために導電性の高い銅部品が必須なんです。弊社では、大正5年創業以来、この銅加工を軸に事業展開を図ってきました」

こう話すのは同社部長・榛木孝至さんだ。
主な取引先である電池メーカーは国内に5社。
「ほかの競合他社さんのなかには、1社依存のところもありましたが、弊社の代表(榛木さんの父親・登司雄さん)が、下請けみたいなスタンスを嫌っており、5社ある電池メーカーすべてと取り引きを行っていました。こうした経営戦略も手伝い、会社の経営はずっと安定していました」



業界再編の波に飲まれ、売り上げが激減

榛木さんが同社に入社したのは98年。そのいきさつを聞いた。
「大学卒業後、ほかの会社に入り、ずっと経理部門を担当していたんですね。7年経って、弊社で経理をする人間が必要になったんで、私が入社することになったんです。だから、最初は『経理だけをやればいいな』と思っていた。でも、03年後半になって、そうも言ってられなくなったんです」

なぜ、そうも言ってられなくなったのか――。電池業界に、業界再編の波が訪れたのだ。
「それまで5社あったメーカーは数社に減ってしまったんです。それにより、当然、弊社の売り上げも落ちていった」

それでも、最初は良かった。全社と取り引きをしていたため、売り上げの下げ幅は他社と比べれば緩かったからだ。しかし、徐々に「何とかしないと大変なことになる」(榛木さん)という危機感を抱くようになっていった。

何といっても、電池メーカー5社との取り引きは、全体の7割を占めていた。業界再編の波に飲まれ、同社の売り上げはピーク時の半分にまで落ち込んだ。



営業マンもいないなか、新規開拓は自社サイトに託した

何か手を打たないといけない――。しかし、同社には新規開拓をする環境は整っていなかった。古いお客さんを大事にするというのが会社の方針。そのため、営業マンもいない状況だったのだ。

どうすればいいのか。榛木さんは、2年前(01年)に、ITを有効活用し町工場を復活させた町工場の2代目に指摘された“言葉”を思い出していた。
「当時、片手間に作っていた弊社のホームページを見て、私に『あかん。こんなことしてたらあかん』って言われまして。『もっと会社のホームページを活用すべきだ』と。でも、当時は、経営も安定していましたから、あまり真剣にその言葉を受け入れていなかった。危機感を抱いたとき、その言葉が強く響いたんです」


サイト活用に目を向けたのには、ほかにも理由があった。
「当時のサイトは、会社案内程度の内容だったんですね。それでも、年間数十万程度でしたが、ネット経由の売り上げはあったんです。それが、やってみるかという気持ちにさせた部分もありました」

サイト製作は、コンサルタントの村上肇さんに協力を仰いだ。村上さんは町工場のIT活用の第一人者だ。


会社の強みをサイト上でアピール。その強みは“銅加工”だ

03年12月、村上さんの元を訪ねた榛木さんだったが、サイト上で何をアピールすればいいのか、それが分からなかった。村上氏からは「会社の“強み”をサイト上で訴えていこう」とアドバイスを受けた。
「えっ!? ですよ。強みなんて、無いぞと(笑)。ずっと銅加工をしてきましたが、それが“強み”になるとは考えてもみませんでした。銅加工の需要は、電気メーカー以外にはないと思っていましたから。でも、村上さんから『“強み”はお客さまが決めること。90年の実績を信じるべきだ』と言われ、銅加工をサイト上でアピールしていこうと決心しました」

榛木さんは、そのほかのアピールポイントも探っていった。同社には、開発部門があり、熟練の職人が、注文に対し即対応することができる。職人がいて、短納期という点もアピールできるのではないか――。

「弊社にとっては普通にやってきたことですが、とにかくアピールできそうなことは、すべてサイト上に載せていったんです」



後編に続く