キッコーマンの誕生
特選丸大豆しょうゆ1L
(現行品)
キッコーマンのしょうゆづくりが始まったのは、江戸時代初期。現在の千葉県野田市で、江戸へ向けたしょうゆの供給が始まりだった。野田は、関東平野の良質な大豆と小麦、行徳の塩など原料の確保に絶好の条件を持っており、さらに高品質なしょうゆの醸造に欠かせない良質の水と気候にも恵まれていた。

以降キッコーマンは、日本のライフスタイルの変化に対応しながら、しょうゆそのものの品質はもちろんのこと、容器などにも改良を加えていった。注ぎやすく詰め替えに便利な卓上びんの開発をはじめ、食シーンにあわせたさまざまなパッケージの工夫など、キッコーマンに流れる品質全般へのこだわりは、決して絶えることはなかった。

世界の“KIKKOMAN”
キッコーマンのしょうゆは、現在、世界100カ国以上で愛用され、海外6拠点で現地生産が行われている。もはや、“Soy Sauce”というよりは、“KIKKOMAN”といった方が、通りの良い国があるほどだ。

しょうゆがこれほどまでに世界の人々に受け入れられた背景には、調味料としてしょうゆのもつ独特のオリジナリティがあったからである。素材を選ばず、素材の良さを引き出すしょうゆの魅力を知ってもらうために、現地の食材に合ったレシピを開発し、広めていった。

また、現地生産をスムーズにさせてきた要因のひとつとして、キッコーマンが三百数十年にわたって培ってきた醸造技術の存在があげられる。

独自の高い技術により世界各国でつくられるスタンダードのしょうゆはすべて同じ味となっている。

明治初期の野田でのしょうゆつくりの様子
『大日本物産図絵』
アメリカ市場へ進出
異なる食文化を持つ国でしょうゆが受け入れられるまでには、大変な苦労があった。しかし、どのような素材とも合う優れた性質を持つしょうゆは、一度受け入れられると日常の食生活の中へ深く浸透していった。その典型的な例がアメリカ市場である。
アメリカのスーパーマーケットでの
試食販売の様子

キッコーマンは1950年代後半、アメリカへ本格的に進出した。当初は、流通経路を確保するとともに、アメリカの人々に、しょうゆを使った料理を試食してもらうことからスタートした。スーパーマーケットなどの店頭でデモンストレーションを行い、キッコーマンブランドの浸透を図った。さらに、しょうゆを使ったレシピの開発を行い、日常の家庭料理にしょうゆをどのように取り入れたらよいかを、雑誌などのメディアを通じて広めていった。

その結果、しょうゆはアメリカの食文化に徐々に浸透していき、消費量の伸長にともなって、供給体制も製品輸出から現地でのびん詰め、そして現地生産へと成長していった。

アメリカ・ウォルワースでの成功
アメリカ・ウィスコンシン工場
(現在の様子)

アメリカ中西部のウィスコンシン州ウォルワースに工場を完成させたのは1973年のことである。地域社会との融和をめざした現地化を行い、製品の生産を現地社員の手で行っている。当初よりしょうゆの原料、包装資材、労働力のほとんどを現地で調達。こうしたキッコーマンのアメリカ進出のケースは、日本企業の国際化のモデルケースとして高い評価を得ている。

しょうゆの出荷量も順調に成長を続け、着実な伸びを示している。1998年には、期待される需要拡大に対応するために、カリフォルニア州フォルサム市に第二工場をオープンした。

キッコーマンの国際戦略は、しっかりと腰を据えてきめ細かなステップを踏むことから始まる。まず、しょうゆの良さを理解してもらい、受け入れられたら現地化を図る。これは、世界のどの地域でも変わらないキッコーマンのポリシーである。

アメリカ進出50周年を迎えて

安定成長期を迎えたアメリカに加え、今後は伸び盛りのヨーロッパ、10年後には中国を含むアジア、さらには南米やインド、アフリカなどキッコーマンの挑戦はまだまだ続きます。